IZAの思い出2

遠い記憶…父へ

あれは長い夏休みも終わろうとする13歳の一日だった。



臥せっている父の姿は日を追うごとに細くなっていた。

自転車で川に転落したのがきっかけとは思えないほど、病床の生活は長くなっており、それが当然であるかのような生活が何年か続いていた。父は休んでいる商売をまた始めるつもりでいたようだが、肉がそぎ落とされて動くことのできない体に回復の兆しはなかった。軽い閉塞感を子供心に覚えながらもあと何年かは同じような毎日がくりかえされるのだろうと、漠然とすごしていたのだが…。



「おとうちゃん、死んじゃったぞ!」



隣人の床屋の主人だ。

死の知らせとはこういうものなのだろうか。母はそのとき父のそばで泣き崩れていたのだろう。私と兄はただ呆然と見つめるしかなかった。父が臥せったままの生活を続けていたとはいえ、死に至る病ではなかったからだ。そして母とも親子ほど年の離れていた父に対して、日ごろか希薄な関係であったからなのか、突然のことがのみこめなかったからか、ふたりとも一滴の涙も流すことはなかった。母にしても悲しみというよりは途方に暮れてのことだったと後で聞かされた。



部屋に残されたままだった骨董品は店を再開するのを待たずに、東京から来た異母兄弟たちがすべて持ち去っていった。あたふたと狭い家で葬儀が行われたあとは位牌もなく、父が育てていた玄関前にずらりと並べて育てていた鉢植えの植物たちもきれいになくなっていた。(その中には私が卒業のときにもらった記念樹の花海棠もあったがとうとう花も見ずじまいになってしまったのだ)



父の死を実感することもなく、その後墓の場所も知らないまますごしてきた。

思えば父が元気なころでさえ、ほとんど言葉を交わした記憶がない。明治生まれの父は遠い存在のようだった。子供のころの記憶といえば、チャボの餌になる草をとりにいったことくらいだろうか。学校に遅刻しそうになると自転車に乗せて送ってくれたものだが、父が最後に自転車に乗って川に落ちたのも、友達の家にいった私を迎えにくるためだった。そのために病気になったと兄にいわれたこともあったのだ。



そうそう骨董屋の競りにつれていってもらったこともあった。

父なりの愛情は言葉に表れることはなく、かすかな記憶の中の幸せの中にひっそりと眠っているようだ。

思えば小さな幸せともいえるそんな記憶だけで、幼いころの思い出が形作られているのかもしれない。



子供のころには聞けなかった父の波乱の人生、そんなことが大人になった今だったら話してもらうことができたのだろうか。

どこかに眠る父の想いは…。



「おとうちゃん、いつかあの世で話をしようね!」

















[PR]

by mari_tensinonamid | 2008-06-16 07:43 | 気まぐれ
<< 妙音沢 輪廻 >>