IZAの思い出2

清水沢百庚申

夏の終わりのある日曜日、その日は台風が近づいているといわれていた。


長野県内の植物園へと向う途中だった、渓流にかかる橋から見たことのないような石碑群を見つけたのは。


f0302628_2026422.png


山肌を埋めるように並ぶそれらの石碑は一見いにしえの墓地のようにも見えた。


これらがいったい何を意味するものなのだろうか、百庚申とは?


その疑問の答えを探すべく橋の袂の山道を降りていくと…


f0302628_2026488.png


石碑のひとつひとつは石の形をそのままにした素朴なものがほとんどだ。


f0302628_2026493.png


おびただしい数の庚申供養塔、全国で建てられるようになったのは江戸時代以降だという。


その庚申信仰とは…


干支の第57番目「庚申(かのえさる)」60日・60年ごとにめぐってくるこの日には特殊な禁忌を要求する習俗があった。庚申の夜は徹夜して明かし、女人は避けなければならない。この日の婚姻は禁じられ、この夜に結ばれて出生した子供には盗人の性格があるなどとして厳しく戒められた。庚申は恐ろしい神で非常にたたりやすいと思われていた。


その後、民間信仰として広まるうちに五穀豊穣、村内安全から商売繁盛等の広い意味での祈願となって最近まで継承されてきたそうだが、その始まりには神が身近な存在であったように思われ興味深い。うっそうとした木々を背後にして並ぶ石碑の群れはいにしえの頃と変わらぬ姿であることを思い見上げると人気のないあたり一帯がタイムスリップしたようにも思われる。


f0302628_2026458.png
 


橋の反対側で。


暫くいくと再び一群れの庚申塔に出会った。


今も人々の願いを宿しているのだろうか。


f0302628_2026495.png


この近くの清流にはかなり丸い岩がふたつ並んで落ちないのが不思議な夫婦岩というのがある。ほほえましい光景に見えないこともないが調べてみるとこの付近のイチコ淵、デバコ淵は悲しい物語があるという。


その昔美しい娘と母がわび住まいをしていたが、娘16歳のときに突然母をなくした。養女や嫁にと望まれつつも一人健気に田畑を耕して暮らしていた。ある日仕事に疲れ、せせらぎと蝉の声を聞きながらこの淵を眺めて休んでいると、「イチコ、イチコ…」と娘の名前を呼ぶ母の声がする。娘は「お母さん!」と叫ぶと淵に入っていった。その後娘の持っていた母の形見の手箱が10数メートル離れた淵から打ち上げられ、村の人々は娘が身を投げたことを知ったという。そして2つの淵はイチコ淵、手箱淵(後に訛ってデバコ淵)と呼ばれるようになったそうだ。


f0302628_2026531.png


この昔話を知るとこのふたつの岩は母と娘のようにも見えどことなく物悲しい。


f0302628_2026515.png


2009年8月某日 群馬県下仁田町にて。



[PR]

by mari_tensinonamid | 2009-09-29 20:32 | 寺社
<< 蝶たち 桂木観音 >>