IZAの思い出2 | |||||||||||
木籠からはいり、次に闘牛場のほうへいってみようかとも思ったのですが、道に迷ってしまい、時間的なこともあるので帰路につこうかと思いました。山菜採りにきていたかたに道を聞いて通ったのが竹沢です。 ![]() そこには養鯉場の看板がたっており、坂が続いていました。帰る前に山古志の鯉をちょっとみてから…、すると藤次郎養鯉場でおいでおいでをされました。出荷する予定の鯉など見せていただきましたが、写真はその親の鯉です。近くの石仏とコラボしてみました。上の写真の鯉は鮮明に撮ることができませんでしたが、一メートル近いかと思われる大変大きな鯉です。奥の鯉のお部屋に大切に育てられています。 ![]() おいでおいでされて行ってみると、親戚の方が集まって楽しそうにお食事中でした。山形、佐渡からいらっしゃっています。「お昼食べた?」と訊かれまして、まだだというと食べていきなさい~といわれるままに頂いてしまいました!おいしいおにぎり、お肉も焼いてくれて、焼きそばも~と大変なもてなしです。初対面のお宅でご飯を頂いたのは生まれて初めてです。感激です~。 見ず知らずの旅の者にもかかわらず、温かいおもてなしをしていただきました。山古志は復興でみなさんにお世話になったからお返しがしたいとおっしゃって、大変よくしていただきました。。庭先に囲った場所に次の日出荷予定の鯉がたくさん泳いでいました。 三枚目の写真は鯉の養殖池と棚田です。水づけをする際に雪解け水では冷たすぎるので棚田の一番上にためておきますが、そこに鯉を放すようになったのが始まりだそうです。 ▲
by mari_tensinonamid
| 2009-05-23 19:59
| 旅の思い出
木籠の水没家屋をあとにして暫く行くと「長岡のムーミン谷」と今では呼ばれるようになったという場所があります。(旧山古志村は現在、長岡市山古志となっています)。くねくねと続く道、丸い屋根の建物が点在する風景はなるほど絵本の中に入り込んだような印象もあります。
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しかし左に目をやると地すべりの後にはまだ草木が生えていません。 実はこの地区の家屋は倒壊したか、壊してしまって丸い屋根の車庫だけが残ったのです。 山古志地区は4年間で砂防工事がかなり進みました。このときは5月といってもまだ春浅く、それほど草が生い茂っていないということもありますが、むき出しになった地層を草木が元のように覆うまでにはまだ時間がかかりそうです。すこしづつ景観を取り戻していく様子を待つのも喜びとなるのではないでしょうか。
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同じく立っている場所から右に目を向けると分断された道路が途中で途切れたままになっています。向こうへつながっているように見えますが、斜面との間は崖で、向かいに見える牧場へは背後に別の新しい道路がつながっています。
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水没家屋については↓こちらに掲載しました。
補足ですが、水没家屋を目の前にして暮らしていくのはつらいので、壊してほしいというお願いが砂防事務所に届いているそうです。しかし現場はまだ泥濘で誰も近づけず、ようやく去年辺りから葦などの草が生えるようになったとのことです。被災の事実を伝える貴重な現場ではありますが、住民の方の胸のうちを思うと複雑な思いに駆られます。
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写真↑は木籠橋をはさんで前回掲載した場所の反対側です。
2009年5月3日
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by mari_tensinonamid
| 2009-05-18 14:16
| 旅の思い出
珠洲市三崎町小泊
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天然わかめを干している光景があちこちで見られます。
杉材の家々が並ぶ風景が好きです。
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義経ゆかりの場所として有名な須須神社まえではちょうど作業中のご夫婦がいらっしゃいました。
(三崎町寺家)
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お話を聞くと海から採ってきて干しているのではなく買ってくるということです。
今干しているものはお渡し先が決まっているのでと、はじいた分をちょっと頂いてかじってみました。
磯の香りたっぷりなのはいうまでもありません。
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また一年後くらいに行きますね~。
お元気で~。
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by mari_tensinonamid
| 2009-05-10 05:52
| 旅の思い出
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